もしもカリスマ宇宙人がかりんとうを武器に地球に侵略してきたら、僕たちはどう立ち向かえばいいのだろうか
”カリスマ宇宙人が地球に侵略してきたらどうするか”
これはかねてから議論されてきたことのように思う。
その際、重要になってくるのはまず宇宙人の武器は何なのか、ということである。
そう、
それはかりんとうではないか、と思っている。かりんとうを知らない人はいるだろうか。
かりんとう(かりん糖)は、小麦粉を砂糖・水・イーストや食塩・重曹などと共に練り合わせて棒状に成形した生地を、植物油で揚げ、黒砂糖や白砂糖で作った蜜をからめて乾燥させた、和菓子の一種である。花林糖と当て字で表現することもある。
庶民が慣れ親しんできた昔ながらの駄菓子としてのかりん糖がより一般的と言えるが、高級和菓子で知られる老舗の商品としてのかりん糖もある。現代日本では、胡麻の実、抹茶、大豆、蕎麦粉、ピーナッツ、各種の緑黄色野菜・根菜等々[1]、様々な食材や、カルシウム等[1]を生地に混ぜたものが市販されている。また従来、植物油で揚げていた生地を焼き上げ黒砂糖で作った蜜をからめた、焼きかりんとうも市販されている。
”花林糖と当て字で表現することもある”
いつ、どのタイミングなのだろうか。
そこは今回の件において重要ではないので、省略させていただきたい。
そしてなぜ、かりんとうなのか。
そこも今回の件において重要ではないので、省略させていただきたい。
だが、もしもカリスマ宇宙人がかりんとうを武器に地球に侵略してきたとき、立ち向かうことはできるのだろうか。できるとして、どう立ち向かえばいいのだろうか。
そして、カリスマ宇宙人はそのかりんとうをどのようにして使うのだろうか。ここを解決しなければ、地球に未来はないのではないだろうか。
もし、もしもカリスマ宇宙人がかりんとうを武器に殴りかかってきたらどうだろう。これは非常に危険であると言えるのではないだろうか。何と言ってもあのかりんとうだ。あの凄まじく鋭利とは言えないが鈍器のごとく重量感のあるであろうこともないであろう極めて殺傷性が高いとは口が裂けても言えないあのかりんとうだ。
どうすればいいのだろう。僕たちはいずれ来るそんな未来に立ち向かわなくてはならないのだ。そこで対策を考えてみた。
まず、ダメージを受けることは危険であるため、その攻撃はすべてかわす必要がある。何しろ糖分が多いので、糖尿感を感じている人間は近くにシェルターがあればすぐにそこに逃げ込まなければ命に関わるだろう。
もし、シェルターがなかったのなら、まずはかわし続け、近くにある机の下にもぐることを最優先にしたほうがいい。そして、健全な人間ならば、戦うべきだ。
だがもちろん、かりんとうで殴りかかってくるとは限らない。投げつけるという選択肢もあるからだ。かりんとうを節分の豆まきのごとく投げつけて来る可能性がある。
そう、あの鬼を勝手に”悪”と決めつけ、集団で豆を投げつけ痛めつけることで福を呼ぼうとする日本の身勝手な悪しき風習である節分の豆まきである。
それと同様にカリスマ宇宙人が地球人に対しかりんとうを投げつけて来る可能性があるのだ。かりんとうは”重さ”はそこまでないため、仮に当たってしまってもそこまでダメージはないだろう。あくまで地球のかりんとうと同じならの話ではあるが。
だがもちろん、できることなら傷は負いたくない。傷つきたくない。とにかくかわすのだ。殴りかかってこようが投げつけてこようが、とにかくかわし続けることが重要だろう。
対策として、”食べる”という選択肢を選ぶ者もいるかもしれない。だが、地球外のかりんとうが地球人の身体に合うとは限らない。しかも投げつけられ、落ちてしまったものは、汚い。
では、こちらはどのような武器を持つべきなのだろうか。相手がかりんとうである場合、こちらにふさわしい武器は何なのか考えてみた。
そう、”こんぺいとう”である。勘のいい方はお気づきかも知れないが、ただの”とう”つながりである。
金平糖(こんぺいとう、コンペイトー)とは、砂糖と下味のついた水分を原料に、表面に凹凸状の突起(角状)をもつ小球形の菓子。
金米糖、金餅糖、糖花とも表記される。語源はポルトガル語のコンフェイト(confeito [kõˈfɐjtu]、球状の菓子の意)。金平糖はカステラ・有平糖などとともに南蛮菓子としてポルトガルから西日本へ伝えられたとされる。初めて日本に金平糖が伝わった時期については諸説あるが、戦国時代の1546年(天文15年)とも言われる。
金平糖 - Wikipediaより引用
漢字では”金平糖”と書くことを、今知った。
そして、この小さいながらも突起があることにより殺傷能力を増してはいないが数で勝負することにより勝機を見出すどころか時間が立つと手がベトつくであろうこのこんぺいとうを、投げつけるのだ。節分の豆まきのごとく。
そう、あのこん棒を持ちながらもなぜか赤やら青やらカラフルな巨体を持つ鬼に対し、ひたすらおマメさんで勝負を挑むという謎の日本のチャレンジャー精神を表す風習、節分の豆まきである。
コツは、”一定の距離を保つ”ということだ。かりんとうと比べ、こんぺいとうは軽く、手数も多く攻撃を繰り出せるだろう。できるだけ間合いを保ちながらカリスマ宇宙人にめがけて投げつけるのだ。
決して、かりんとうをくらってはいけない。
というより、まずそもそもカリスマ宇宙人は本当に侵略してくるのか、というところが重要でもあるように思う。
考えてみて欲しい。もし地球以外の惑星に生物が存在しているとする。ならばその生物からしたら地球人が宇宙人ということになる。意味がわかるだろうか。
要するに外国に行ったら日本人がガイジンということになるのと同じことだ。
では、ワレワレ地球人は宇宙人に対し侵略を考えているだろうか。
否
どちらかと言えば共存を望んでいるのではないだろうか。宇宙人を勝手に”悪”と捉えてしまうのはまだ時期尚早であるように思う。
鬼もそうだ。桃太郎がなぜか鬼退治など言い出したせいで、この21世紀に入った現在でも鬼=悪といったイメージは払拭できていない。
桃から生まれた奇想天外な生き物でありモノで子分を釣るような者が、鬼を勝手に悪と決めつけ退治に行く。鬼が街の人々を苦しめているからといった説もあるが、桃太郎が成長するまで見逃すような馬鹿な鬼ならとっくに退治されていてもおかしくはないのではないだろうか。
つまり、鬼が悪であるという証拠は未だ一つもない。
同様に宇宙人が悪である証拠もない。なのに宇宙人が侵略してきたらどうしようと考えるのは宇宙人に対する冒涜であるかもしれない。
だがそれを言ってしまうともうこのブログ破綻しちゃうし意味ないのでもうヤメます。
なんだよカリスマ宇宙人って。